私は、夜、キャンプなんかしているときに時々、暗闇に向かって吠えることがあるの。何か気配を感じるのよね。それは、明らかに他の犬や小動物なんかではないわ。私は、猫を見つけたって追い回すことはあってもやたらに吠えたりしないの。だからその気配は、動物とかじゃなくて他の何かなのよね。暗闇では全く目が見えないし、五感も鋭くなく、第六感はまるで無いご主人様には、もちろん、何に吠えているか全くわからないらしいわ。それは、何かスピリチュアルなものじゃないかしら。例えば、幽霊とか。
こんなこと言ったら、「非科学的だ」なんていう人がいるけど、そんな人は、何か勘違いしていると思うの。科学は、近年すごく発展してきたけど何でも科学で解明できるっていうのは、大きな間違いよ。科学を深く勉強していない人に限って、科学で何でも解明できると思っている傾向があるわね。最近の科学では、ヒッグス粒子によって質量の根源がわかったり、重力波の存在が確認されたり、137億年前の宇宙の誕生の最初の瞬間の出来事が想定できたりして、特に物理学の分野では長足の進歩が見られるのは認めるけど、それをもって「もう分からないことなんて殆どない」と考えるのは、大きな間違いで、科学の最先端を知らない人ほどそう思っている傾向があると思うの。例えば、宇宙につていえば、宇宙の質量の96%は、何でできているか分かってないのよ!私たちが観測できる恒星などの天体なんかは、たった4%分でしかなく、あとは23%のダークマターと73%のダークエネルギーってことだけど、それって「何も分かっておりません」って言っているようなものよね。ちなみに、物理学者は、「何もわかりません」って時に「ダーク」って言葉を使うらしいわ。
私の深い問いかけは、「重力が何故、アインシュタインの方程式で記述できるのか」ということであって、「重力というものが分からなかったけど、アインシュタインの方程式で記述できるとするとうまく説明できる」というレベルのことではなくて、「何故そのように宇宙はできているのか」ということ。他の例では、電子の動きは量子力学で説明できるけど、「ちっちゃい粒か雲のように想像されている電子が、そもそも「何故、確率的にしか記述できない存在であるのか」という様なことなのよ。動きを記述できたらいいということよりもっと根源的に「何故世界はそのように存在しているのか」ということ。
もう一つの例は、物理学で大切な数字の一つに陽子電子質量比があるわ。この数値は60億光年離れた銀河でも、この地球でも同じなのよ。そんなに離れているんだから、数字が違っていてもいいじゃない?
物理学は、そんな深い疑問には答えられないの。何故ならそれらは、哲学や神学の領域の疑問だから。
「神は、サイコロを振らない」と言ったアインシュタインが、人格的でない「神」の存在を深く信じていたことは有名だけど、彼が同じ疑問を持っていたとすれば、当然、「神の領域」の問題に対する認識もあったでしょうね。
分からないことがまだまだあると言っても、物理学は、20世紀から現在まで目覚しい進歩を遂げたわね。だけどもっと身近な例を出すと、例えば、生命科学の分野で言うとD N Aは音楽で言うアナログレコードじゃなくてC Dの様なデジタル情報だから時間と共に劣化しないはずなのに我々生物は、何故、時間が経つと老化するのかしら。この辺の研究は、近年、精力的に行われていて、ようやくその仕組みがわかって来つつあるところよ。
もっと分からない分野は脳科学分野で、何故、どの様にして「意識」が芽生えるのか?専門家じゃないから殆ど私に知識はないけど、いくらICを膨大に繋げたとしてもそこから「意識」が芽生えるとは私にはとても思えない。でも人間の脳は、有限個の脳細胞とシノプスしかなくても「意識」が芽生える。卵子と精子の段階で既に「意識」があるのか、そうでないとすると、どこまで細胞が増えると「意識」が芽生えるのか、途中で「意識」が芽生えるとすると、それは、ICを次々に繋げていく場合とどこで違いが発生するのか?途中で「意識」が芽生えるとすると、細胞の個数で何個までは「おバカさん」、何個からは「お利口さん」って突然変わるのは考えにくいから、やはり卵子と精子が意識を持っているのか?それらはさらに元々は単なるタンパク質じゃなかったの?色々考えていると寝れなくなるときもあるのよ。
数学の世界でも、2、3、5・・・とかの素数の発現に規則が存在するって信じる?それがあるとするリーマン予想はまだ証明されてはいないと思うけど、私にはそれが証明できると思えないの。何人もの数学者が、その証明を考え続けてついには正気を失っているわ。私には、素数の発現こそ「神の領域」であり、「人間が予想できちゃいけないもの」としか思えないの。
さらに、時間の流れって本当に存在するの?「時間の流れ」って、「単に人間の頭の中の確率計算の結果作り出された未来予測に過ぎない」って言う人もいるけど、私は、若返りたいという個人的な願望から、みんなが当たり前のように「ある」と思っている「時間の流れ」ってものが、無いって言ってほしいけど、これってあまりにもミーハーかしら?
最初の話に戻ると、「幽霊」って本当に存在しないの?「幽霊」も「意識」も、私にとっては、同じ様なレベルで訳の分からないものに感じちゃうけど、何故なら、「意識」がそもそも細胞などの物理的な存在を超えた、または物理的な存在に制約を受けない何かだとすると、「幽霊」だって同じ様なものよねって、私には思えてくるのよ。
無限に発散するかと思えた話をうまく収束させたでしょ?自画自賛かしら?
ここでちょっと別の話をすると、大切な心構えは、これだけ分からないことがあるのだから、どんな考えや可能性も謙虚な心で捉え、知ったかぶりして単純な心で否定してしまわないことじゃないかしら?そう言う態度が、「全てのものに神は宿る」または「どんなものにでも魂がある」っていう日本人独特の考え方にも通じると思う。何故なら、魂って訳のわからない、目に見えないものの存在を信じる心が、いろんな道具を魂を込めて扱い、魂を込めて物作りや仕事をする、さらに一見馬鹿馬鹿しいことにも魂をかけて取り組む日本人の本来の特性を育むのだと思うわ。即物的な金銭至上主義ではなく、魂を込めて包丁を研ぎ、魂を込めてうまい寿司を握る、その魂のこもり具合を理解し、高く評価する。そこにこそ日本人の本質があると思うの。
ああ、柴犬だって魂のこもったうまい寿司が食べたいのよ!だって日本犬だから。
最後はずっこけたわね。
おやすみなさい!
Comments