ADUSAには逃亡癖があります。普通、犬というものは、『主人のそばを離れたら危険だ』と思っているというのは、私だけの思い込みでしょうか?実際に主人のそばを離れたら、食い物にありつけないし、何らかの攻撃に合うかも知れないし、さらわれるかも知れないし、危険なのです。実際、これまで3度さらわれそうになっており、都度、ADUSAは逃げた様ですが、実際にそのような危険があったことは事実なのです。しかし、ADUSAは、主人のそばを離れることに全く危機感を持っていません。何かのはずみで私がリードを離してしまうと彼女は、遠くに行ってしまって帰ってこない。私としては、ADUSAは犬なんだから「帰巣本能」というものがあるはずだと常識として思っていますが、特にテントなど野営の宿泊場所や車などからいなくなった場合、そこに帰ってくるということを期待しても、実際、帰ってこないのです。挙句、警察のご厄介になって翌朝迎えに行ったことが2度ほどあります。まさに前科者であり、「少女 A (ADUSA)」なのです。地域の警察にもしっかり登録されているはず。迷子になっても誰かが警察に通報してくれて、結果的にご主人様が迎えにきてくれるというのが、彼女の経験値として蓄積されているのですごく問題なのです。
約1年ほど前、リードの先にランタンをくくりつけていたところ、何かのはずみにADUSAが、ランタンごといなくなりました。私が車で探しに行くと右端にランタンの灯がチラリと見えたので、もしやと思い付近を探すと何かに引っかかってしまったランタンと共にADUSAがいました。主人がやってきたのを見て吠えるでもなく、彼女は、「ただそこにいる」のです。もし、私がランタンの小さな灯りに気づかなかったら、彼女は、かなり長い間、食べ物も飲み物もなくそこにいるしかなかったのです。ADUSAは、自分が危機的状況に置かれたという自覚が全くなかったのです。
今年の夏の夜、暑いので窓を少しばかり開けていたら、ADUSAは、窓の隙間を鼻でこじ開けて逃亡。仕方ないので付近を探しに行くと暗闇にADUSAがいました。ADUSAは、主人に吠えるでもなく、近づいてくるでもなく1.5mほど先の暗闇に静かに「いました」。「抱っこ」と言うと近づいてきて抱っこされましたが、ADUSAにとって、この結末は「至極当然」と言う感じなのです。
ADUSAにとってこの世界はどんな風に見えているのでしょう?ADUSAに危害を加えるものなど全くいないという世界なのでしょうか?一人でふらついていてもどうせご主人により安全に保護されるという感覚なのか?それは、全く現実の世界とは異なる世界観としか言いようがなく、とても危険な考えなのです。何故なら、今だに犬を食べる国があるし、最近、柴犬しかも豆柴は高価なので捕まえて売り飛ばしてしまおうという奴もいるかも知れないからです。
話は少し変わりますが、私は、John Lennonの”Imagine”を歌うこともあり、曲は好きなのですが、その歌詞は、あまりにも現実離れしていて疑問を抱きます。私は、”Happy X-mas(War is Over)”にも同じ感じを抱いてしまうのです。”War is over if you want it. War is over now.” 本当にそうだろうか?少なくともその根底に流れる「誰も戦争なんてしたくないはず」という考えは、プーチンによって否定されました。自分の野望の実現のためには、人の命や国際的ルールなど何とも思わない奴が現実にいるのです。
John Lennonの理想主義に対しては、色々な意見があるでしょうが、本当に彼が言うように「国そのものが無くなれば戦争はなくなる」のでしょうか?「国そのものが無くなればそのために戦うことはなくなる。」というJohn Lennonの主張は、一面で確かに単純明快かつ自明なことのようにも思われますが、あまりにその論理は単純すぎます。先ず、国という制度により、秩序が維持されていて無用な争いが避けられている面もあるのです。次に、大体、人は、国のためだけに戦うのでしょうか?そういう人もいるでしょうが、肉親や友人のため、またその人達が暮らす故郷のため、または自分の誇りのために戦う人もいるはずであり、人から肉親や友人、故郷、誇りを奪うことはできないので、国がなくなっても戦う理由がなくなる訳ではありません。人間にとって一番大切なものは、金や名誉などではもちろんないし、自分の命でもありません。人は自分の命を捨ててでも守りたいものを必ず持っています。他の人が守りたいと思っているものを理解し、尊重し、それを奪ってはならないという教育が世界に浸透しない限り、戦争は起こってしまうのではないでしょうか。
ADUSAの見ている世界は、John Lennonの理想に近いのかも知れません。しかし、ADUSAは、世界の現実を知らないというだけなのです。世界や人間の現実、実相を見ず、理想を唱えるだけでは世界の問題を解決することはできません。「この意見は、誰がどう考えても正しいはずであるから皆これに従うべきである」と唱える人がいるとしたら、その人は、まさに何も知らないというほかはない。科学的事実以外では、誰にとっても正しい意見などというものは存在しないのです。
以上
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